ゼロエミ式キノコ栽培マニュアル

キノコの種菌について

 コロンビアでの種菌生産


■ 99年末~01年末

99年に自分がコロンビアでキノコ栽培をはじめた頃種菌は非常に高価なものでした。というよりも種菌を販売している所はなかったと思います。ブラジルや日本から様々な種類の菌糸を輸入し拡大培養していました。

そこで、当時、所属していたNGO団体で種菌を生産し販売しはじめたのですが、担当者の菌に対する認識不足と技術不足で雑菌だらけ(コンタミした部分を取り除き詰め直して…)の種菌をかなり高価な値段で販売しておりました。

その団体でのプロジェクトは貧困層の栄養&現金収入向上のためのものだったので、「なんでや??」という気持ちが強くかなり現地のスタッフと揉めたことが今では懐かしいです。種菌はこの団体の現金収入向上のためにも必要だったのです。

結局、この団体は給料の不払い等が続き潰れてしまいました… ただ、この雑菌だらけの種菌を使い続けることによって自分が得た技術、経験は今になって思うと大きいです。それまで純粋培養された超優秀な種菌しか使ったことがなかったので、当初は仰天、戸惑い、怒りが渦巻く中、なんとか無菌、清潔を保とうと努力しながら栽培実験を続けていましたが、そんな品質の悪い種菌を使っても、もちろんコンタミするものはあるのですがキノコは出るんです。多くの品種を実験しましたが、特に日本から入れたヒマラヤヒラタケが優秀でした。(当時の栽培方法は煮沸法。培地をでかい鍋にいれてグツグツ煮た後、お湯を切って、袋に詰めて冷えてから接種。凄い方法です)

そんなこんなで実験を重ねていくうちに、結局、ここでのプロジェクトの対象は貧困層の農民、市民というキノコ栽培の経験、知識のない日々の生活が精一杯の人達であり、そのような環境に置かれた人達が実際に栽培する際に、接種する時は無菌室、無菌箱で、作業前にはアルコールで消毒してなどとを教えることは、強いても栽培知識は向上するかもしれませんが、それは全く実用性がないことに気がつきました。

もちろん所属のNGO団体の種菌生産技術、栽培技術の向上は一応、コロンビアではキノコ栽培の最先端団体?ということだったので必須でしたが、種菌生産には自分はかかわることができなかったので誰でもできるキノコ栽培技術の開発に絞り実験を続けました。そんな状態の種菌ながらキノコを出し続けたヒマラヤヒラタケは本当に凄い食用菌です。

■ 02年始~02年末

いったん帰国し、ビザを取得後、再度、コロンビアに向かい別のNGO団体でキノコ栽培の指導をしました。

ここは農業系の団体ではなかったので、なんのしがらみもなく自由にキノコ栽培の実験、栽培指導ができたので、種菌も生産し販売(キノコに興味のあるお金持の人にちょっとぼったくって販売しておりました)もしました。 自分がいなくなっても種菌生産が続けられるよう現地の職員に技術指導をし、簡素化した工程を考案し、マニュアル通りにやれば種菌をなんとか生産できる体制を整えました。友人を通して日本財団から2台の殺菌釜の寄付を受けることができました。

しかし、帰国後、指導した現地職員が辞職した後、引きつぎがうまく行われたかったようで、数年後、当NGOを訪問した際にはそこにはキノコのキの字もなかったです。力不足を痛感しました。